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コレヒドール島(Corregidor) 1泊2日 訪問記 その3

コレヒドール島

トラムにのってツアー開始です。この日は日本語ガイドさんがいらっしゃいましたので、日本語トラムに乗車です。
まずはマッカーサ元帥です。「I SHALL RETURN」 と刻まれてますね。

マッカーサ元帥

Japanese Memorial Garden

まずは島の東のオタマジャクシ部分にあるJapaneseMemorialGardenです。

JapaneseMemorialGarden

大砲が並んでいます。

JapaneseMemorialGarden大砲

観音像があります。

JapaneseMemorialGarden観音像

きれいに整備されています。

JapaneseMemorialGarden外観

フィリピンで戦死された方の名前が刻まれています。墓地であったようです。コレヒドールで戦死したのではない方々でした。

JapaneseMemorialGarden日本人墓地

まだ日本軍がイケイケだった頃の写真ですね。

JapaneseMemorialGarden戦中の写真

Malintaトンネル

つぎはMalintaトンネルです。トンネルというよりは地下基地といったところでしょうか。入り口です。

マリンタトンネル入り口

ここだけなぜか別料金200ペソ・一人です。

マリンタトンネルチケット

すごい広がりです。現在は大半は崩れている様子でした。

マリンタトンネル全容

トンネル全景です。トンネルを少しづつ進んでいって、横のほらあなにちょっとした展示があります。

マリンタトンネル内部

こちらは左側は日本軍の攻撃から逃げてきたフィリピンコモンウェルス時代の大統領のマニュエル・ケソン氏とその家族です。右側の米国軍人はマッカーサー将軍でしょうか。彼らはなんとかコレヒドールに逃げてきて、オーストラリアに逃走することに成功しています。

マニュエル・ケソン – Wikipedia

マリンタトンネル内ケソン大統領

こちらは旧日本軍の本部ですね。ガイドさんによるとおそらくモデルは本間 雅晴中将とのことです。ただ本間中将はフィリピン占領後は日本に帰国して最後までコレヒドールで戦ったわけではないですね。

本間雅晴 – Wikipedia

個人的には立派な方であったようですが、時代が悪かったとしかいいようがないですね。なんとか日本軍の横暴をやめさせようと努力したようですが、バタン半島攻略に手間取ったことで、左遷され軍事実務からは引退、戦後は再度フィリピンに呼び出されて、ラグナで死刑を執行された方です。奥様のコメントが感動ですね。。

マリンタトンネル内日本軍像


こちらジョージムーア将軍の本部との看板が立ってますね。ジョージムーア将軍は最後までコレヒドールに残って日本軍と戦って捕虜になった方みたいですね。もう一人有名な軍人にウェインライト将軍もいます。こちらも日本軍の捕虜になってひどい目にあったみたいですね。Wiki英語版の写真の痩せ方がすごいです。

George F. Moore (general) – Wikipedia

ジョナサン・ウェインライト – Wikipedia

マリンタトンネル内ムーア将軍看板

横穴の状態は悪くほぼ崩壊状態です。

マリンタトンネル内LateralTunnel

最後はフィリピンの国旗が掲揚され、国歌が演奏されてめでたしめでたしとなります。

マリンタトンネル内フィリピン国旗掲揚

他にも病院跡、日本軍玉砕の横穴などありますが、流石にのせるのはやめときます。

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