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コレヒドール島(Corregidor) 1泊2日 訪問記 その5

コレヒドール島

Pacific War Memorial Museum(太平洋戦争記念博物館)

灯台のちょっと横に博物館があります(太平洋戦争記念博物館)。

Pacific War Memorial Museum

展示エリアです。

Pacific War Memorial Museum内部

日本軍が発行したペソ札が展示されています。500ペソ、100ペソ、10ペソ、5ペソ、1ペソ、10センタボ、5センタボ、1センタボが展示されています。「THE JAPANESE GOVERNMENT」と書いてありますね。

日本発行ペソ紙幣
日本発行ペソセンタボ紙幣

こちらは日本軍のメダルということで展示してありますが、どう見ても違いますよね。。「Kokute Kouen」と解説されています。能登半島のキーホルダーか何かですよねこれ。。マリンタトンネルのあたりで見つかったことになっていますね。。

能登半島メダル
能登半島メダル解説

こちら解説によりますとコレヒドール攻撃に参加されたIsaoKobataさんにより寄贈された旧日本軍の軍服だそうです。

旧日本軍
旧日本軍軍服解説

こちらは1939年に行われたミスサンホセコンテストの優勝者Paz Ignacioさんだそうです。コレヒドールには今は人は住んでいませんが、戦争前にはSanJoseとよばれてそれなりの住民が住んでいたとのことです。平和に越したことはないですが、難しいですね。

コレヒドール美人コンテスト

その他の建物

こちらは米軍が利用していた映画館だそうです。その他プール、ゴルフ場、野球などができた広場があったそうです。またサンフランシスコのような路面電車が島内を結んでいたとのことです。確かにマリンタトンネルの内部も線路がありましたね。

コレヒドール映画館

至るところに兵舎跡があります。こちらは「Middleside Barracks 60th CA(AA)EM」と看板がたっていました。ガイドさんいわく、米軍が利用したセメントは浅野セメント産だったそうです。現在の太平洋セメントに繋がる企業とのことです。

浅野財閥 – Wikipedia

コレヒドール兵舎
コレヒドール兵舎看板

こういった兵舎は今では全くの廃墟ですが、マルコス大統領時代まではそれなりに使われていたそうです。あんまり有名な話ではありませんが、マルコス大統領がマレーシアのサバ奪還のためにミンダナオ地方のイスラム教徒をリクルートして兵士として送り込む計画をしていたが、計画中止となり、リクルートした兵士達は全員処刑されたりとかとんでもない暗黒史を前回訪問した際のガイドさんは教えてくれました。いちおうWikiにもありました。まあフィリピンのことですので、どこまで真実かわかりませんが、そんなこともあるかもと思います。麻薬戦争で数千人殺されちゃうところですからね。。

Jabidah massacre – Wikipedia

前回の訪問は2013年ころで、ちょうどスール王国の末裔とされる王が武装フィリピン人をマレーシアのサバに送り込んだ事件がありました。

ジャマルル・キラム3世 – Wikipedia

と話がそれましたが、以上でツアーは終了です。

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